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2010年1月 9日 (土)

樹木葬

  お父さんは、灰を海に撒いてあげるからね。妻はよくそう言う。
私が先に死ぬはずだから、私の灰をどうのこうのと勝手に決め込んでいる。まあ好きにやってくれ。
 ところで朝日新聞電子板1月7日付けの記事で、東京都が都立霊園に樹木葬を導入する方針。と報じた。背景には墓地用地の不足があると言う。
Tentokuji * 画像はWeb より

 

 私の思う樹木葬は、森の林床に遺灰をバラバラと撒いて、植物に燐肥として吸収させれば、人も自然の懐に還る。そんなイメージだが、東京都の言う樹木葬は違うようだ。樹を墓石代わりにして、その根元にお骨を埋葬するということらしい。
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 私は長男だから、親の埋葬されている墓を引き継いでいる。その他に千葉市の霊園の芝生墓地を一区画確保してある。持ち家もないのに墓地は二ヶ所なんて、自分でも変だとは思うが成り行きでそうなった。でも、海に灰を撒かれてしまえば両方とも使う必要なんかない。例え墓石に名前を刻んでも、3代もすれば忘却の彼方だ。どうせそうなんだから、ここはきっぱり自我を捨てて自然に還る道を選ぶのも一考だ。

 しかし、そうでない人々が大半で、やはり墓石に名を刻むことに拘る人は多いだろう。この世に足跡を残すためだろうか。ともかくそんな人にとって、樹木を墓石代わりなんて、受け入れられるのだろうか。なんと言っても樹木は生き物だ。墓石の存在が百年として、仮にサクラの根元なんてことになったら、30数年もすればサクラも老いて枯れ朽ちる。さてさて、東京都の思惑に乗る人の有るや無しや。

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 稲毛人工海浜に磯の松原がある。
千葉市が市制をしいて60年目の昭和56年に、将来に引き継がれ続けるに値する記念碑として、六千人の市民がクロマツの苗を植えた。その松の一本一本に、それを手植えした市民の思いが込められている。其の中には、在りし日の家族のメモリアルになっている樹もあって、松林の中に立ち入って、松の幹を愛おしげに撫でている人を見かけたこともある。
 松林を育てる過程で、徐々に間引く。だから、自分の植えた松が何時までも残っている保証はないけれど、松林としては、これからも稲毛の浜に在り続けるはずだ。私は、この松原実現に深く関っていた。だから思入れも強い。海に撒かれるよりも、磯の松原が良いと密かに思っている。
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