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2018年11月13日 (火)

発達障害考(2)

 夜通し強い北寄りの風がビュービュー唸りを上げているよ。道路が濡れているから、昨日同様に俄雨も降ったんだね。こりゃ、散歩に出るなら今しかない。そう思ってね、親爺さんが朝食を済ませるのを見極めて、足元ににじり寄ってチョイチョイと、ズボンの裾に触れたよ。どうやらアタシの求めることが分かったようでなにより。ことの本質は、コミュニケーションが相互に出来るかどうかさ。

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* 袋田の滝(茨城)

 「すっきりしたよ」って、ケンニャンが親爺さんに話しかけていたよ。昨夜、彼が帰宅した折のことだよ。
 こういうことらしいね。ケンニャンが担任するクラスの中に、発達障害だという生徒がいるそうで、昨日、その生徒と話をしたそうなんだ。会話する切っ掛けが何だたのかは分からないけれど、その生徒の話す自身の幼児期の振る舞いが、今、コーチャンが見せる振る舞いと重なるそうでね。今、担任教師であるケンニャンに生徒が話したということは、つまりその生徒の場合、言葉に関してはある程度の会話能力を会得したということなんだね。
 幼い頃、そもそも頭に言葉そのものが無い状況では、周囲の人たちが話す言葉が全く分からなかったとさ。自分の意思を伝える言葉も分からず。同年代の幼児と比較され、同じ振る舞いを求められ、だからストレスを溜め続けていたんだろうね。まるで外国人の中に独り居るような状況なんだろうね。それでも、止むに止まれぬ必要に追われるように、5歳頃には何とか意思疎通が出来るようになったんだとか。
 その生徒は決しておバカさんじゃないんだとさ。相当な記憶力の持ち主で、成績も良いのだとか。さらに普通なら忘れているような幼い頃の体験を、しっかり覚えてもいるそうなんだ。
 
 悪い能力じゃあないけれど、一方その結果が負担になるかもしれないね。何故なら、人も犬も、覚えていたいこともあれば、忘れ去りたい事もあって、その双方を上手く操って社交性を築いているからね。

 話の印象からは、発達障害の克服までには未だな様子でね。人との付き合いに難があるというし、言葉が元になる作文などでは、求められる構文ができなかったりするそうだよ。動作では、物を掴むことが上手く出来ない。例えば箸の扱いだろうね。手づかみで食べているってことかもしれないね。
 コーチャンもそうさ。右利きだか左利きなのかも曖昧でね。

 親爺さん、インターネットの認知症関連のある記事で、介護側の人物がバーチャルリアリティーを活用して、介護される認知症者の立場を体験した。そんな体験記を見つけてね。目から鱗だとさ。
 記憶から人の名前や顔つきが失われて、それに連れ周囲の話に合わせる事ができず、ストレスが高じて・・・。そう言えば親爺さん、先日その演奏を感激して聞いた先住真理子さんの顔を、その日の内に忘れてしまったとさ。

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 *イソギク

 成長期は発達障害。高齢期には認知症。どちらも出来ない事、分からない事に周りを囲まれているんだね。それに対するアタシ達は、そのどちらであれ直情的に、本人に物事を強いるような態度を示しちゃいけないんだ。ストレスを与えるだけになるからね。
 ケンニャンが生徒と話して「スッキリした」っていう気持ちは、親爺さんがインターネットの体験記で目から鱗と共通している。そうアタシは観ているんだ。
 我が家の場合、幼いコーチャンと、認知傾向を示す母さんが受けているストレスに、ケンニャンや親爺さんの理解が一歩進んだからだ、というのは言い過ぎかしらね。

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