« 30年経て | トップページ | 30年経って(2) »

2019年6月22日 (土)

絵本を見て

 昨日、成田方面で局地的に激しい雨が降ったんだってね。確かお昼過ぎ、その方向に厚い雨雲が漂っていたのは気づいていたけれどね。親爺さんが時々話す、下水のマンホールの蓋も水圧で浮き上がる程の雨だというからね。

 今日はそれ程の雨ではなかったそうだけれど、親爺さんとケンニャン親子が車で千葉市へ向かった道中、ところどころでシャワーの中に出たり入ったり。そんな感じだったとさ。全く降っていない、地面が濡れていない地域もあってね、頭上の雲に左右されているような天気だったよ。

2009-083

 頭上の雲次第と言えば、親爺さんがバイクで勤務先のある水戸市と千葉市を行ったり来たり、そんな生活を続けた頃、鹿島スタジアム付近に差し掛かると、その前後で陽射しがあっても、何故か不思議に雨に遭ったそうでね。スタジアムを通り過ぎると雨が止んだそうなんだ。そんな事が何度も続いたとさ。

 銚子から遠く鹿島方面を望むと臨海工業地帯の煙突から、あれは水蒸気だろうね。何本も立ち昇って、それが上空で雲の層を成していたとさ。あの場所で頻繁に雨に遭うのは、そんな環境が生み出しているのかもしれないとさ。これまでの処、今年の梅雨はシトシト降る梅雨の印象ではないよ。 

 処で今日、毎週の事だけれどコーチャンを千葉市にある発達障害支援教室へ連れて行った親爺さん、彼がインストラクターのコーチを受けている間、その部屋の書棚にあった一冊の絵本が目に付いたとさ。何気なくその絵本を手に取って、あとはコーチャンの観察を忘れて見入ってしまったんだとさ。”自閉症”というタイトルでね、自閉症児のとる特異な行動の幾つかを漫画で説明しているのだけれど、親爺さん、”確かにそんな振る舞いがある”と、共感したんだとさ。

 例えば人と犬では同じ環境にいても、関心を持つ対象が異なるし、人は目で見たものを多角的に理解して全体像を把握するそうだけれど、アタシ達犬は、形には関心がないよ。匂いでそれを記憶するんだ。自閉症児の場合も、全体像じゃなくて、部分的特徴で記憶するらしいんだ。だから人の場合、服装や髪型が変わった場合、同じ人でも分からない場合があり得るそうでね。食べ物の場合、味や形で選ぶ場合もあるけれど、例えば納豆はネバネバの食感。リンゴはサクサク感と味とかでね。食品の単品一つ一つの特徴で好き嫌いが決まるので、カレーのように混じってしまうと、もう混乱してそれ自体を拒否さ。

 2歳ごろまでは、普通の幼児同様、与える幼児食はなんでも食べていたけれど、成長するにつれ、彼の受け入れる範囲が狭まってね。最近は毎食、振りかけ、それも決まった一品とご飯しか食べないんだ。それでも身体の成長は問題ない。分からないものだね。

 今日、絵本を見て以降、親爺さんはコーチャンのことを、経験から引き算して行動判断をしているようだと話していたよ。経験の是非を判断するフィルターがあるとすれば、自閉症児はそのフィルターの目がどんどん狭くなっているようでね。人は経験の蓄積で行動するけれど、自閉症児は逆なんだ。一見すると、出会う出来事を次々拒否するんで、周囲は扱いかねてしまうんだね。これは手強い。親爺さんはそう思ったとさ。

 逆に言えば、自閉症の理解が深まった事が、彼をより良く育てる次の手を探す手がかりにはなるよね。

* 今日、突然なことだけれど、インターネットを利用している電話回線の契約を、NTTからKDDに切り替 えることになりそうでね。そうすると、このブログ契約も変えなければならないとか。親爺さん。これから先のことに加え、今まで書き溜めた四千近い過去ブログがどうなるのか、少し心配になったとさ。 

« 30年経て | トップページ | 30年経って(2) »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 30年経て | トップページ | 30年経って(2) »