おしゃれ?
朝方は東の空を雲が覆い、陽が顔を見せたのは高く昇った後だったよ。
それでも昼間は快適な陽気でね。散歩していても楽しかったよ。
親爺さん、久しぶりに予定もなく、のんびりと歩いていたんだ、芝生広場の脇で、かろうじて命脈を保っている里桜の花が見どころになって、グランドゴルフを楽しんでいる爺ちゃん、婆ちゃん達が樹の根元に座り込んでね、お茶していたよ。
親爺さん、散歩の途中でクリーニングしたワイシャツを受け取ったんだ。白いワイシャツを着るなんて、最近は葬儀ぐらいでね。そのシャツを手でぶら下げながら唐突に話し出したよ。
なんでもワイシャツの胸のポケットの位置なんだとさ。多くの場合、というより全てだろうね、ポケットの位置は左胸なんだよね。親爺さんがぶら下げているワイシャツもそうだよ。
ところが親爺さんの持っているワイシャツで一枚だけ、右胸にポケットがあるそうなんだ。わざとそう仕立てたんだとさ。洋服屋さんが注文に怪訝な表情をしたんだそうだよ。「左利きですか?」。「いや、右利きです」。
親爺さんの人生の師匠がね、話したそうだよ。本来、シャツの胸ポケットに物は入れない。なぜなら、上着の胸ポケットに財布や名刺入れを入れるから、時に右胸だけが膨らんで、フォームが崩れるというんだ。だからシャツの右側にポケットを移して、そこに名刺入れでも手帳でも入れておけば、バランスが取れるだろう。そう話したんだとさ。
よくよく考えれば、胸が膨れる程に何かをポケットに詰め込むことが野暮ではあるのだけれどね。親爺さんが未だ若い頃の話だとさ。師匠のお供で高島屋へ出かけた時だとかで、傍目に親爺さんは社長のお供をする秘書な様子に見えただろうね。それで分かるだろうけれど、ポケットを右に移したシャツを誂えたそうなんだ。
別の機会だそうだけれど師匠が糸車を見せて、これで羊毛を紡いで織り物にしてね、ジャケットを作ろう。そう言い出したんだとさ。早速当時羊毛でホームスパンを作っている工房を探し出して、原毛を分けてもらってね、糸車は鎌倉で、織り機は岩手でと、準備を整えたんだとさ。
親爺さんも紡いだとさ。それでも大半は師匠がね、糸車の前に座って羊毛を糸に紡いだんだとさ。それを奥さんが織り機でホームスパンに、親爺さんがそれを洋服屋に持ち込んでジャケットに仕立て、普段着にしていたそうなんだ。風合いが出るようにね。ジーンズをわざわざラフに着て着古し感を出すためにね。
師匠は下着にアイロンをかけるような人でね、英国紳士を思わせる風貌だったとさ。
親爺さん、以前言ってたんだ。右ポケットのシャツにジャケットを羽織って、コーギー犬連れて散歩に出てね、道行く人に会釈する、そんなおしゃれな老人になろうとね。
最近の親爺さんはね、ユニクロで買った服着ているよ。それで済ませるようになってしまったんだね。
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